2001年6月、中田英寿が在籍するASローマが、セリエAで18年ぶりの優勝を決めた記念すべき日、 僕はローマ近郊の小さな街ジェンツァーノ市で“INFIORATA(インフィオラータ)”と出会った。
 教会へと続く長さ250mのゆるやかな坂道は一面、カーネーションの花びらが描く21枚の絵で彩られていた。 花びらで創られたとは思えない絵の完成度には度肝を抜かされた・・・さすがは芸術の国“イタリア”!! さらに驚かされたのは、絵のデザインも創作もすべて一般市民が行っていることであった。 日本には花を生けて見せる文化はあるものの、花をむしって見せる文化はない。
  『日本に新しい花の文化を創造する!』 ことを初志とし、 2001年10月、晴海トリトンスクエアにて第1回目となる”インフィオラータ”を実施した。 以後、北海道から九州にいたる全国各地で開催、年々その数は増え続けている。2004年には商標権を取得、またジェンツァーノ市より招かれ講演講師も務めた。 徐々にではあるが、日本国内において“インフィオラータ”のステータスが確立しつつある今こそ、 初志であった『新しい花の文化創造』を具現化するチャンスである! そこで世界でも珍しい“インフィオラータ”のオーガナイズカンパニー 『インフィオラータ・アソシエイツ』 を、 “インフィオラータ”が大好きな面々とともに設立することにした。

株式会社 インフィオラータ・アソシエイツ  代表取締役社長兼CEO 藤川靖彦 


  1995年1月17日未曾有の神戸を襲った阪神淡路大震災から半年が経とうとする頃、被災地として傷ついた神戸には、明るく日の当たるイベントが求められていた。しかも、ショー的なものではなく、参加でき楽しめ、まちを彩ることができるものー。
実は、1994年にインフィオラータの構想があったが、道路の通行規制や、花びらの問題、地元理解などの課題があり実施には至らなかった。しかし、阪神淡路大震災からの神戸の復興を目指すイベントとして、インフィオラータは最適なものであった。
  インフィオラータは、私の力で実施できたのではない。むしろ、神戸市役所の多くの皆様、地元関係者の皆様の力があったからこそ実現できたもので、抜擢されただけである。その後、神戸では、春のイベントとして広がりを見せ定着した。
  2003年に、ジェンツァーノ市へ訪問。飛び込み営業のような形で神戸のインフィオラータを紹介し、色んな縁がつなぎ、ジェンツァーノと神戸のインフィオラータが繋がった。その後、スペイン・オロタバ市の市制500周年記念イベントとして開催された世界のインフィオラータに日本代表として招かれたり、2007年には、ジェンツァーノ市のインフィオラータでは最も大きく(40m×10m)、最も高い場所に、フランチェスカによる神戸をテーマにした花絵が描かれたりと、まさに人と人をつなぎ、まちとまちをつなぐ事業として理想的な交流を推進してきた。
  しかしながら、昨今、このインフィオラータに目をつけ、インフィオラータらしからぬイベントがインフィオラータを名乗って実施されようとしているのを耳にするようになり、藤川社長に連絡をとり、今後のインフィオラータのスキームについて話し合う機会をいただいた。
  合意したのは、インフィオラータの健全な日本での実施と、新しい文化としての視点からの取り組みである。
私どもは、阪神淡路大震災から生まれたインフィオラータを大事にし、藤川社長と共に、日本に新しい花の文化を創造していきたいと願っている。

株式会社ベイエリア 代表取締役 田中宏明

 
関東・インフィオラータアソシエイツ 関西・ベイエリア
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